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04/03/21 【KASHIWABA DRIVE一覧】
松浦一樹【横浜発3月21日】この2月に百歳になったばかりのうちのおばあちゃんが、20日未明〔午前2時55分〕に亡くなった。静かな最期だった。 百歳、とひとことですませてしまうが、どえらいことだ。1904〔明治37〕年生まれだから、日露戦争開戦の年に産声を上げたことになる。それから、第一次大戦、関東大震災、第二次大戦、戦後〔冷戦時代〕、高度成長期、80年代のバブル、バブル崩壊後と、20世紀そのものを生き抜いてきたのだから、すごい。 父が大学生のころ、養子に入った東京・人形町の松浦〔うちのおじいちゃん〕の後妻だから、「おばあちゃん」といっても、血のつながりはない。それでも、子どものころから、「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼んでいたわけだから、おばあちゃんだ。 江戸っ子で、小唄をたしなんだ。先代、市川団十郎の追っかけで、毎週末のように、歌舞伎を見にいくのが楽しみだった。正月に、人形町の間口は狭いが、妙に奥行きの長い家を訪ねると、黒豆を食べさせてくれた。京樽がすぐそこにあって、茶巾鮨もよく食べさせてもらった。家は幽霊屋敷のように、昼間も薄暗く、裸電球が天井からぶら下がっていた。便所が臭かった。かずきちゃん、大きくなると、一樹さん、と呼んでくれていた。 思い出といっても、こんなものか…。父が亡くなると、疎遠になっていった。同じ苗字でも、血のつながりがないと、こうまで、縁が薄くなってしまうものか。 老衰が進み、昨年から、清澄白河の有料老人ホームに入っていた。百歳になるお年寄りの女性がもう一人いて、仲良くしていたようだ。3週間前に「顔を合わせておいた方が」というので、訪ねたら、意識が朦朧としていて、「おばあちゃん」と声をかけても、もう反応がなかった。薄目を開けて、痛い、痛い、と繰り返すだけだった。 きょう21日夕、江東区森下の「平安祭典深川会館」で通夜が行われた。近親は私も含め、9人しかいなかった。ぎりぎりになって、老人ホームのスタッフ9人が現れ、焼香してくれた。いい人たちで、棺の小窓から、おばあちゃんの顔をのぞき込むと、泣いていた。読経と焼香だけで、通夜はあっという間に終わった。別室で、酒を飲み、寿司を食べたが、一時間ほどで解散した。百年の総決算としては、あまりにあっけないような、おとなしい葬儀だった。 松浦一女〔はじめ〕。戒名は「正順院一葉妙芳大姉位」。 おばあちゃん、ゆっくり、休んでね。 |
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