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横浜の聴き方

藤枝 好

「よこはま・たそがれ」・「海を見ていた午後」

 【横浜発10月18日】 五木ひろしの「よこはま・たそがれ」(1971年)は大ヒット曲だが、ご当地ソングとしての完成度はそれほど高くないと思う。「よこはま」でなければならない必然性が歌詞に稀薄だからである。ブルースやかもめなど定番のアイテムを歌詞に採用しているが、別に横浜ではなくて神戸でもかまわないという感じがする。そもそも、そんな必然性を備えたご当地ソングがあるのかという疑問もあるが、少なくとも「伊勢佐木町ブルース」には圧倒的な存在感がある。

 荒井由美の「海を見ていた午後」については、麻生圭子が「80年代に続く中産階級のご当地ソングの走り」という的確な定義をしている。かなり高い<必然性>を持った曲である。私小説的な歌詞で、歌謡曲的な<通俗>を一切排している(だからニューミュージックなのだが)。それでいて歌の世界を追体験したくなるほど、聴き手が感情移入してしまう力を持っている曲。

 千葉県民だった麻生も曲の舞台となっている<山手の静かなレストラン・ドルフィン>へ「横浜の坂を上ったり下りたり、捜しに捜して、行きました」と書いている。そのためには、根岸旭台のドルフィンは「山手のドルフィン」でなければならなかったし、本当は見えなくても「晴れた午後には遠く三浦岬が」見えなくてはならなかった。八王子出身の荒井由美〔ユーミン〕がここまで<横浜をつかんだ>のは偉大だと思う(高尾山ではニューミュージックになりにくいしね)。

 ユーミンは聴き手に<ありもしない思い出を後から作らせてしまう>名人である。そんなことができるから天才なのだろうが、たとえば、私にとっての「雨のステーション」は新子安なのである(ローカル!)。これはちょっと複雑な気分である。どうしてこんなことになってしまったのだろう。もう少しなんとかならなかったかと、時々思う。(文中敬称略)

 *参考文献・資料:麻生圭子『青春の道標11』日本経済新聞2003年2月15日(土)