松浦一樹
小田豊二、松葉好市 「聞き書き 横濱物語」 〔発行・ホーム社、発売・集英社〕
◆勝新との遭遇
10年ほど前、会社の上司に誘われ、中華街〔中区〕東門に近いジャズサロンに行った。生演奏を聴きながら、酒を飲み、なぜか、おいしい醤油ラーメンをいただくことができる、一風変わった店だった。その場で異動を言い渡されたので、昨日のことのように鮮明に覚えている。ラーメンを食べていたら、そこへ、どこかで見たことのある顔がやってきた。「座頭市…いや、勝新〔俳優・勝新太郎〕だっ!」。パンツ事件で、世間をにぎわせていたころである。ドキドキ、いや、ワクワクした。
一杯やったら、勝新が歌い始めた。ジャズナンバーだった。客はわれわれも含めて、ちらほらいただけだったが、ディナーショーのような華やかな雰囲気になった。上司が「おい、得したな」とささやいたのを覚えている。2、3曲歌って満足すると、マイクを持って、こちらのテーブルにやってきた。
「歌いませんか」…「!」。
上司はひとこと、「行けよ」ときた。「ずるいな」と思ったが、こっちにも多少の色気があって、勝新が差し出したマイクを握ってしまった。ステージに立つと、勝新がかぶりついている。気にしないことにして、生ピでナット・キング・コールの「Paper Moon」を歌った。歌い終えると、あのだみ声で、「アンコール、行ってみよう、アンコール」というから、もう1曲だけ歌って、ステージを降りた。忘れられない夜になった。
こんなハプニングがあるから、横浜が大好きである。
◆ドキュメンタリー映画のような…
楽しかったあの夜を、ふいに思い出させてくれたのが、この本である。
「聞き書き 横濱物語」。タイトルの通り、作者の小田豊二が、横浜の戦後を生きてきた「元不良」の松葉好市から、「華やかなりしころの横濱」の様子を聞き出し、記録にとどめたものである。いわゆる、オーラル・ヒストリーだ。
横浜の歴史モノというと、分厚い開港史やモノクロの写真集が多くて、素人には取っつきにくいところがある。教科書的な歴史本は、頭のいい人向けに小難しく書かれていて、すらっと読めず、投げ出してしまうことが多い。その点、この本は「語り」だから、すいすい読める。それに、正史で省かれることの多い庶民の生活がふんだんに語られていて、横浜の「かつて」が鮮明によみがえる。
語り部の松葉さんは昭和11〔1936〕年、真金町の遊郭に生まれ、25歳で野毛の「チャイナタウン」というキャバレーを任されたという。本の内容から察するに、今は若葉町でスナックを経営しているらしい〔松葉さんをご存知の方がいらしたら、ぜひどこにいるのか、教えてください〕。
街を駆けずり回っていた不良少年の語りだから、実に面白い。どの角に何があったのか、はっきりと覚えていて、記憶の中で「古きよき横濱」の街並みが再現されていく。横浜で育ちながら、目撃した街の移ろい、出会った人々がホロスコープのように浮かび上がって、ページをめくっていると、さながら、ドキュメンタリー映画を見ているようだった。
◆愚連隊、ハマジル、マッカーサー劇場、プー太郎、etc.
ヤクザ、愚連隊、番長たちの列伝、というよりは、戦後、街で鳴らした「若きリーダー」たちのエピソードをふんだんに語る「ハマの番長伝」は特に面白かった。横浜政界がなぜ、いまだに「藤木」〔今は堅気だが…〕の名にあれだけ気を使うのかが、わかった。
松葉さんは、落語の桂歌丸師匠や美空ひばりの幼なじみで、そこら辺の話も詳しい。歌丸師匠も遊郭の生まれだ。女優の岸恵子とも、神奈川スケートリンク〔神奈川区〕でいっしょに滑ったことがあるというし、石原慎太郎〔都知事〕とも交流があった。横浜は、芸人の多い街だったことがよくわかる。俳優の黒沢年男は、野毛でドラマーをやっていた。今は、弟を時々見かける。それに、勝新。やはり、若いころから、横浜でよく遊んでいたらしい。というより、横浜に遊ぶところがいっぱいあったのだろう。
ダンスホールでは「ハマジル」が踊られていたという。ジルバ〔jitterbug〕に横浜スタイルがあったのだろう。横浜の戦後史はやはり、駐留米軍抜きでは語れないようだ。アメリカ映画の上陸が早かったのも、そのせいだろう。「マッカーサー劇場」「オクタゴン劇場」といった映画館が軒を連ね、横浜は「映画の街」になった。横浜をロケ地にした邦画が多かったのも、うなずける。ここは、日本のハリウッドだったのだ。今は安っぽいテレビドラマの背景にしかならなくなってしまった。
言葉の由来もいくつか紹介されていて、勉強になった。横浜の警察官は、ホームレスを「プー太郎」と呼ぶが、これも横浜の言葉なのだそうである。「風太郎」と書くのが、正しいらしい。映画の「封切り」という言葉も、この地で生まれたらしい。新しい外国映画が届くと、フィルムの入っている缶の封を切ったから、こういう表現になったという。新しい言葉が生まれたのは、街が生きていた証拠である。今はどうか…。
などと、いろいろと考えながら、読める本なのである。
◆オーラル・ヒストリー
さて、オーラル・ヒストリーというジャンルだが、人一人に歴史を語らせることには、無理がある。記憶ちがいや思い込みがあるし、ものの見方が一辺倒になってしまうおそれがある。だから、普通なら複数の人間に同時代を語らせて、バランスを取るものだ。この本の作者がそこまで考えていたかどうか、知る由もないが、「バランスが取れていない方がおもしろい」ということもあって、一般向けの出版物としては許されるのではないか、と思う。そうとわかっていれば、楽しく読める。ただ、内容をすべて、鵜呑みにしてはいけないのではないか。歴史的な事実やデータを脚注にして、証言をある程度補っているが、いくらか割り引くのが、健全な読み方だと思う。
ここで強調しておきたいのは、横浜がもっと、オーラル・ヒストリーに熱心になるべきだ、ということである。来年、開港150周年を迎えるが、ご存命のお年寄りたちは、その半分を生きてきた。松葉さん自身がそんな感慨を述べている。この生き証人たちを無視して、横浜の戦後史はありえない。
本来なら、横浜の歴史家や市教委が中心になって、聞き取り作業を行うべきなのだが、文献に溺れているように見える。あるいは、建造物の歴史にばかり、興味を持っていて、横浜の戦後を知る生き証人たちに目を向けようとしない。アメリカでは、移民や黒人公民権運動の歴史を、このオーラル・ヒストリーという手法を用いて、記録にとどめている。生き証人たちの話にひたすら、耳を傾けるのである。これは見習った方がいい。大がかりな事業になるが、お年寄りたちがいなくなってから、「あの時、聞いておけばよかった」と嘆いても、手遅れだ。
歴史的な建造物以上に貴重なものを、失ってはならない。
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