ヨコハマチャンネル横浜から日本、世界を考える
 
横浜百景〔5〕

山口昭

高校野球

 テレビのスイッチを入れたら、高校野球が映っていた。私は、野球そのものより、応援風景を見るのが好きだ。等々力、相模原、保土ヶ谷、横浜の各球場に足を運んだこともある。あの光景を見ていると、私自身の青春時代の想い出がいくつか浮かんでは消えていくのが楽しい。しかし、少し淋しく思うのは、今年のベスト4を見ても、県立や市立の高校の姿がないことだ。

 旧制中学の名残で「神高」と呼ばれていた希望ヶ丘高校に私が入学した前年は、甲子園に県代表として出場していたし、私が三年生の時は、決勝戦に進出し、横浜球場で声を枯らして応援した。残念ながら、鶴見工業高校に敗れてしまったが。その時の相手投手を、今でも覚えている。後にプロ野球の近鉄に入団した黒田投手である。

 応援席もまた、おもしろかった。日ごろ、渋面している教師たちが懸命になっていたり、教室では小さくなっているラグビー部の連中がチャンスとばかり、声援したりしている。校長のまわりには、商工会議所や市会議員や野球部OBが集まっている。あのエネルギー、おそるべしである。受験準備中ではあるが、その時だけは一切を忘れて、友にエールを送ったのである。無念の敗北ではあったが、友と連れ立って、中華街に行き「海員閣」で残念ラーメンを30円で食べた。

 そのころは、伊勢佐木町でも中華街でも、なぜか神高生とY校〔横浜商〕生は人気があった。伝統校である両校の卒業生が多数いたからであろう。

 希望ヶ丘は不思議な高校で、遠距離通学者が、多数いた。県央の愛甲郡妻田中、厚木中、高座郡海老名中、横浜市内でも遠い区から来る。ほとんどが、親や兄弟がOBなのだ。古い数学の教師や漢文の教師は、親や兄弟の成績まで覚えていた。放課後は、音楽教室へ行くと、シューベルトの「冬の旅」や「美しき水車小屋の乙女」をドイツ語で聴かせてくれるし、学年関係なしで、「源氏物語」を読んでくれる国語教師もいた。当時を思い出すたびに、「教育の原点」がそこにあったのではないかと考える。

 夏休みや冬休みは当時、日直・宿直制度があり、特定教師をマークして、数人の友人と訪ね、文学や映画の話に花を咲かせた。そんな話の中で、自分の将来の方向や、大学の志望校、学部の選択などが自然と決められていった。

 私は、現在の教育のあり方についてはわからないが、両親が勧めてくれた、この学校には満足している。

 私には二人の息子がいるが、残念ながら、後輩にはならなかった。上の息子は、青葉区の桐蔭学園に、下の息子は、東京の武蔵工業大学付属に進学した。私が住む青葉区から、私の母校は遠すぎたことがあり、県立や私立の人気が落ちてしまったこともある。

 私の母校の教師たちは、みんながやさしい先生だったが、一面、厳しさもあった。今の教育には、この「厳しさ」が欠けてはいないか。

 親の「厳しさ」も欠けている。学校の教師の「厳しさ」も欠けている。社会に出れば、会社の上司の「厳しさ」も欠けている。日本中が「厳しさ」に欠けているのである。「見て見ないふりをする」、つまり「見ない病」になってしまっている。政治も経済もしかりである。マスコミもいけない。

 私は電車に乗っても、バスに乗っても、注意すべきは、たとえ他人の子どもでも、注意している。意外に素直に聞いてくれる。しかし、いつかは「痛い目」に遭うのかも知れない。しかし、私は、それでも注意していこうと思っている。注意の中に「親切さ」があれば、理解してくれるものだ。

 「やさしさ」と「厳しさ」を教えてくれた母校の先生方も、ほとんど旅立ってしまったが、今週は感謝をささげつつ、ペンを擱〔お〕きたい。