ヨコハマチャンネル横浜から日本、世界を考える
 
横浜百景〔12〕

山口昭

「新横浜」にて

 先日、名古屋のホテルでの講演会に行ってきた。「倒産に学ぶ」というテーマで、講演時間3時間というタイトなものであったが、約200名の中小企業経営者の熱心さに打たれて、私の経験談をスピーチした。主催者から送られてきたチケットは、「のぞみ」のグリーン券だった。「のぞみ」は初めて乗るので、楽しみにしていた。

 私が住む青葉区あざみ野からは、市営地下鉄に乗り約15分で「新横浜」駅に至る。朝食抜きで、崎陽軒の「シウマイ弁当」でブランチと考えた。久しぶりの駅前の変化に驚いた。

 あれは、いつのころだったろうか。

 長男の勝〔当時4歳〕に新幹線に乗りたいといわれ、その要求に応えることにした。私も当然若く、まだ30代の後半だった。土曜日の夕方から、長男の小さなリュックサックに洗面用具と着替えの下着を入れ、駅前のスーパーでサンドウィッチと小さなウィスキーとカップラーメンと菓子類を求めて、JR大井町駅へ向かった。田園都市線といわれるように、まさに田園地帯を郊外線が走っていた。

 川崎市を約10分で横切り、東京都を25分走ると、JR大井町駅に至る。東京駅八重洲口の大丸百貨店地階で大阪寿司を求めて、新幹線「こだま」に乗車した。当時、「こだま」以外は新横浜に停車しなかったと記憶している。ネオンが点灯されるころ、2人を乗せた「こだま」は静かに滑り出した。窓ガラスに頭をつけて、夢中で眺めている長男を見ながら、ふと、両親に連れられ、旅行した私の子どものころを思い出していた。

 約30分で新横浜駅に到着した。2人で駅前唯一のホテルだった「新横浜国際ホテル」に宿泊した。当時の駅前は、建物が少なく、ホテルの階上からは、丹沢山塊〔さんかい〕が眺められた。狭い自宅マンションとちがったホテル・ロビーで走り回っている長男を呼び寄せ、2人で妻に電話をして報告させ、自室で大阪寿司とサンドウィッチの食事を取った。2人で風呂に入り、テレビを見ながら、眠ってしまった。

 翌朝、朝食堂に入り、「和定食」を食べた。まだ、給料も安く、2人の新幹線とホテルの倹約旅行は終わった。妻が小さな乗用車で、ホテルに迎えにきてくれた。

 その長男から、絵ハガキが届いた。

 遅い夏休みをとり、家族旅行をしているのである。勝沼でぶどう狩りをして、「富士急ハイランド」で遊び、河口湖畔のホテルに滞在していると、記されている。「もう、秋です」と書かれていた。

 考えてみると、ちょうど長男が30代後半になり、家族4人〔妻・長男・長女〕旅行を楽しんでいるわけだが、私の30代後半とは、ずいぶんちがい、豊かな生活をしているものだ。

 「豊かさ」を求めて、働き続けた40年であったが、私が得たモノは、何であったのだろうか。残る人生をせめて、「スローライフ」といきますか。

 残暑お見舞い状を2通書いたが、本当に文字通りの「残暑」いや、「猛暑」である。しかし、早朝の風は秋を十分に感じさせてくれている。蝉は声もなく、それこそ虫の声しか聞こえてこない。私の好きな「秋桜〔コスモス〕」の季節がやってくる。店頭には、栗や梨やぶどうがあふれている。「二十一世紀」という梨が現れないが、だれか作ってくれないものでしょうか。

 長男が贈ってくれたスコッチと次男が贈ってくれたバーボンが机上に置かれている。日ごろは、国産ウィスキーを飲んでいるが、品質はそれほど変わらない。30年前に、サンフランシスコの古いホテルのバーに「ダルマ」〔サントリー・オールド〕があったので、飲んだが、その値段に驚いた。スコッチやバーボンより高かったのだ。ワインでも、フランス産で安価なモノがたくさんある。

 長男の贈り物のスコッチをシングル・グラスに満たして、口に含んだ。

 「俺も《敬老の日》にもらえる年になったのだな」と独り言をはいたら、老妻が笑った。老妻の、久しぶりの笑顔だった。

秋来ぬと日になさやかに見えぬども
風の音にぞ驚かれぬる

 だれの作だったか、思い出せない。