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03/11/02 【横浜百景一覧】
山口昭天災・戦災・人災久しぶりに、横浜港に遊んだ。 横浜駅東口から百貨店の側を通って、船乗り場に行き、チケットを求めた。秋日和で、空は青く、少々寒かろうと、レインコートを着ていったが、脱ぎたくなるほどの気温だった。 そこには、「横浜の空」「横浜の風」「横浜の香り」があった。この街が関東大震災で多大な被害を受け、そして、太平洋戦争で灰と化した。さらに今、政治屋と役人と土建屋による人災とも呼ぶべき、大きな被害を受けている。青年市長が立ち上がり、その対応に懸命だが、10年、努力を要するだろう。その結果を期待し、私自身の目で見たいものだ。 しかし、船から見る横浜は美しかった。発展する「みなとみらいエリア」が力強く感じられた。 かって、東京に住む人たちが「ヨコハマ」に異国情緒を求め、その味覚やファッション商品を求めて省線〔現在のJR線〕に乗り、東横線に乗り、京浜急行線に乗り、乗り込んできた。横浜の市民も商人も、それに応えた。東京の人たちは、横浜の人の明るさに感激して帰ったものだ。港を歩き、元町を歩き、中華街で食べ、伊勢佐木町でショッピングを楽しんだ。今、努力して「その当時」に戻るべきなのだ。横浜がミニ東京になっても、仕方がない。大阪でも、京都でも、名古屋でも、博多でも、それらが持つ特性が失われ、ミニ東京化されてしまった。味覚の面からも、特性がない。 中国料理において、北京があり、上海があり、広東があり、四川があっていいではないか。来年2月には、直通電車が中華街に入るそうな。ぜひ、この機会に、市でも商工会議所でもマスコミでもいいが、「横浜味百選」とか「横浜名所百選」でも募集したらいかがか。今、横浜信用金庫が横浜にふさわしいキャッチフレーズを募集しているが、いいアイデアだ。みなさん、応募してみませんか。 そんなことを考えていたら、船がニューグランドの前に到着した。何人かの若者が、カモメにえさを与えていた。えさを求めて、一直線に飛来して、見事にキャッチする。 私は、しばらく公園を散策した。ポケットに入れてある携帯用の灰皿が役立った。最近は、どこへ行っても、灰皿がない。どうも、喫煙者には住みづらい時代になったものだ。ニューグランドでお茶を飲む。このホテルも改装するそうだが、どうか、残すべきものは、残してほしい。サービス、味、格調は、他のホテルとは比べものにならぬことを忘れずに。 初めて、このホテルに連れてこられた日を思い浮かべていた。「余所〔よそ〕行き」の服装をして、緊張してきた小学生の自分がなつかしい。横浜港に停泊していた「新田丸」を見学しに来た時だから、昭和16〔1941〕年のころだろう。外国航路の船情報が必ず新聞に掲載された時代だった。それらの船は、改装され病院船になったり、運搬船になったりして、ほとんどが沈んでしまった。 「汽船」という文字が持つロマンにあこがれて、港に通ってきた日々がなつかしい。見学すると、帰りに船の絵ハガキがもらえた。それを友人たちに見せるのが、自慢だった。夜になって、床の中で、それらの船が航海するアメリカやイギリスなどが、どんな国なのかを想像して、なかなか眠れなかったものだ。 パンもチーズも牛乳も手に入らなくなり、だんだんと暗い時代になっていった。兄の机の上にある地球儀を見て、海が広いのに驚いた。 ホテルでの紅茶を楽しみ、帰ることにした。「徳記」にするか、「海員閣」にするか、悩みながら、中華街に向かった。ウィークデーだというのに、客が多かった。活気を取り戻している光景に、私はうれしくなった。たまには、老妻に土産でも求めて帰ろうと思い、「清風楼」に立ち寄って、シュウマイを買った。 秋も終わり、中華街では冬支度が始まっていた。 |
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