ヨコハマチャンネル横浜から日本、世界を考える
 
横浜百景〔19〕

山口昭

霜月になると

  地球が暖かくなったのか、今年はいまだ「霜」が見当たらない。だが、早朝の散歩にはセーターをダブル着している。よく見る野良猫も姿を見せない。鳥たちの鳴き声もなくなった。

  同期会や忘年会の通知ハガキがポストに入ってくる。小・中学校のそれは、オリンピックに合わせて4年に1度、高等学校と大学のそれは、毎年である。その他に、現役時代の関係が3つあり、キャンプ仲間のを入れると、7つか8つになる。会費が、ここ数年安くなってきたのは、デフレの影響か、収入のなくなった老人たちへの配慮なのか。親しくしてきた仲間の顔を思い出しながら、返事を書いている。年々「香典」への支出が増えていくのは、致し方あるまい。失った仲間をあらためて思い出す。そんな一年の事柄を、この通知ハガキが機会を与えてくれるのだ。

  長男の嫁から、孫の幼稚園合格の知らせがあった。年長組になる。もう一人の孫と連れ立って通園する姿が目に浮かぶ。考えてみると、幼稚園の合格発表が、こんなに早い時期なのか、自分の2人の息子のことを思い出そうと思ったが、結局わからなかった。私の30は、そんなに多忙であったのだろうか。「一切女房にまかせていた」という私自身に問題がなかったか。そんなところに、日本の教育問題が存在しているのではなかろうか。

  例年の通り、「年賀ハガキ」100枚を申し込んできた。昔のように売り切れとはならないようだが、習慣になってしまっている。私は、印刷した賀状が好きでなく、すべて自筆で書いてきた。しかし、宛名書きも、本文も、年々きつくなってきた。息子はパソコンが便利と薦めてくれるが、どうも気が向かない。原稿を書くのも、相変わらず手書きである。「広辞苑」をめくりながら、書くのも楽しいものだ。

  賀状を書き始めるのは、12月に入ってからだ。喪中ハガキを確認しないと、失礼する場合があるからである。しかし、私の友人は、不幸があったとき、喪中ハガキを出さなかった。1月に入って、寒中見舞いをだし、その時に、賀状を出さぬ失礼を書き、喪中ハガキに替えていた。理由を聞くと、年に一度の友人・知人の近状を知りたいので、そんな処置を取ったといっていたものだ。メールが発達した今日でもやはり手紙・ハガキ派が多いようだ。

  私も、書いている用紙はA4版であり、私のFAX機器では、送信できず、その都度、近所のコンビニに行き、B5版に縮小して、送信している。老妻が、原稿用紙をB5版にしたらいい、というが、哀しいかな、それでは気分が乗らない。長年の習慣というものは、恐ろしいものだ。

  霜月に入って、いろいろな会に参加し、12月になって賀状が終わると、例年のごとく、「徒然草」の読みに入る。いつのころからの習慣か、定かではないが、年末に読む「徒然草」は格別なものなのである。無理に読んだ受験勉強期と異なって、楽しんで読んでいる。

  12月に入ると、来年度のカレンダーと手帳も手配する。これも長年、使い慣れたものがよく、無理して送ってもらっている。手帳は日記帳も兼ねていて、行事日程・来信・来客を記入し、その日の三食もメモしている。週に1度、その三食メモを眺め、不足している栄養素に気づくと、補給する。それは、果実のときもあり、ヨーグルトのときもあり、イワシの干物のときもある。納豆や豆腐が好物なので、老人の栄養に不足はあるまい。

  最後にすることは、書棚の整理である。毎年50冊ずつ増えていく本の整理も、一仕事である。名刺と来信も必要ないものは整理する。整理の途中で、本を読み返したり、来信を読んだりするのも、楽しい年末行事になる。

  健康に感謝し、翌年の健康を願い、静かに師走の最後の日を迎える喜びに浸る老人の一年なのだ。