![]() ![]() |
|
03/11/24 【横浜百景一覧】
山口昭おやつ職人の世界では、「おやつ」の時間が二度あって、午前10時と午後3時である。前に庭の手入れをお願いした時、昼食時間を入れると、いったい実質労働時間は何時間なのだと、不思議に思ったことがある。 しかし、一般的に「おやつ」は、午後3時の一回が普通である。考えてみると、「おやつ」に出される菓子類の変化を見るとおもしろい。 私の子ども時代(昭和15年、1940年ごろ)のそれは、砂糖が塗られた「赤城センベ」や「塩センベ」や「カリン糖」に人気があった。第二次世界大戦に敗北した後は、「イモ」が圧倒的であった。進駐軍から流れてくる「ガム」や「チョコレート」を入手した時は、そのうまさに驚いたものだ。今のように、一年中、「モチ」があることを考えると、正月を待ち焦がれることなど、想像できまい。スーパーの菓子売り場などに行くと、その種類の多さに驚かされる。 母が「オカラ」を豆腐屋から求めてきて、油でいため、なけなしの砂糖を入れた「おやつ」や、父が工夫して作ってくれた、電気製造器で小麦粉の少ないパンの「おやつ」など、今では食べられぬものだろう。「おやつ」には、その時代が映し出されているのものだ。 年老いた今の私の「おやつ」は、日本茶かコーヒーがあれば、それでいい。時には、老妻が求めてくる「和菓子」が出されることもあるが、ほとんどない。コーヒーだけは、凝っていて、自分で豆から挽いて飲んでいる。「キリマンジャロ」が最も好きだ。味覚からくる好みではなく、その語感やヘミングウェーのイメージからくるものだと思う。 初めて、小学校の担当教師宅に遊びに行って、コーヒーを飲んだ時の「M・J・B」のグリーンの缶のイメージも忘れがたい。その時の「おやつ」に出されたウエファースの味も懐かしい味の一つである。今でも常に、缶の中に入れて、孫たちが遊びに来ると、その缶から取り出して、その小さな手に握らせている。昔のウエファースは、いろいろ工夫されていて、間にクリームやチョコレートが入っていたが、今のそれは工夫が足りない。 「おやつ」といえば、不思議な光景を思いだす。冬の陽が、いっぱい射し込んでいる廊下で、母の手製の白菜漬や沢庵をつまみながら番茶を飲む職人さんたちの姿だ。音をたてながら漬物を食べる光景など、今は、田舎にでもいかぬと見られないものになった。 漬物といえば、最近好きになり、時々、奈良漬や千枚漬を求めてきて、ウイスキーの友としている。日本酒よりウイスキーにピッタリするのが不思議でならない。 さて、ここまで書いてきて、ふとなぜ「おやつ」というのか、考えてしまった。広辞苑をめくってみると、「お八つ」と書かれている。昔の「八どき」、つまり今の午後3時のことなのだ。昼食と夕食の間の「間食」のことなのだ。つまり、朝食と昼食の間には、「おやつ」は存在しないことである。古い時代に「そば」や「寿司」が「おやつ」であったのも理解できる。「そば」や「寿司」が、それだけ庶民の食べ物であり、価格も安かったことが推測される。 子ども時代に、母に連れられて買い物に行き、「そば」を間食に食べたことを思い出した。「寿司」を間食にしたことはないが、古い時代には、そんな生活があったのであろう。時代を経て、店が立派になり、高級化してしまったのであろう。 最近、外資系コーヒー・チェーンの進出がめざましい。価格も安い。つまり、本来の姿にもどして、成功しているのではなかろうか。 兄に連れられて行ったミルク・ホールは、建物も設備も簡易で、音楽など流れていなかった。古びたラジオが一台置かれているだけだった。店員も少なく、家族だけで経営していた。したがって人件費も少なく、価格も安く提供できたわけだ。本来の「飲む」「食べる」姿にもどさないと、経営が悪化するはずである。バブルは日本中に広がり過ぎている。 さて、そろそろ「お茶」にしますか。 |
||||